実体的消費よりも必要な「実体的投資」

福田政権の無為と女性的資本主義について
久々の内田センセ、なかなか面白いことをいっておられる。

アラブの王族が10億円で自家用ジェット機を買ってハワイに飛び、五つ星ホテルを借り切ってひとり宴会をすることがもたらす経済波及効果は、一万人の日本人ツーリストが10万円の格安チケットでハワイツァーをした場合のそれに遠く及ばない

まあ確かに書評:クルーグマンのThe Conscience of a Liberalでも書かれている通り、中流の厚い層は長期的には社会や経済の発展に欠かせない要素でしょうな。

二極化は「誇示的・記号的消費」と「享受的・実体的消費」の二元的対立という図式でとらえることもできる。
実体経済を支えているのは後者である。
誇示的消費(consommation ostentatrice)は「象徴価値」のある物品やサービスに投じられる。

しかし、享受的消費は「身体という限界」を有している。

実体経済というのは、「身体という限界」の範囲内でなされる消費活動をベースにした経済活動のことである。

てなあたりもまあそんな感じはしますね。結局食料や燃料といった「人間の肉体を支えるモノ」が改めて経済の中での存在感を増していますし。
ただちょっとひっかかるのは

10億円で買えるものといえばもう証券と不動産しか残っていない(これらは貨幣の特殊形態にすぎない)。
つまり、個人資産があるレベルを超えると「金で金を買う」以外にすることがなくなるのである。

この辺でしょうか。
先日も経産次官「デイトレーダーはバカで無責任」講演で発言とか、どうも投資というのが単純に「金で金を買う」といった記号操作としてしか認識されていない。
例えば、ファンドの世界で「ハンズオン」という言葉があります。「手を貸す」ファンド、つまり事業や経営に深くコミットして、産業の成長を支えるタイプの投資のことです。
ただこの「ハンズオン」、現場の人からすると「死語」なんだそうな。
ハンズオンは死語
ただそれはハンズオンが廃れた、というのではなく、

海外のTop VCファームのWebサイトを見ると、ハンズオンとは別に書いていないです。なぜかというと、当たり前なので、書いたところでアピールにならない ということだと思います。

ということらしい。
まあそれはそうで、本当に新しい事業や産業を起こそうとすれば、当然周囲のいわゆる「既得権益」やら政治・社会システムや文化、あらゆる衝突や摩擦が想定されるわけです。日本だろうがアメリカだろうがね。
生まれたばかりのベンチャーにそれらを捌ききる力がないのは当然で、そういうところはやはりファンドのプロ達と協力して地べたを這いずって解決していくしかない。政治的な動きもするし、ロビイストだって使うでしょう。そうやって長期的に事業を育て、やがては新しい産業を生み、莫大なリターンと栄誉を得るのです。
つまり単に「金で金を買う」投資、「記号的投資」では新しい産業など生まれっこない。人間が動き回る「実体的投資」が欠かせないのです。
だからといってデイトレーダーのような短期投資家を責めるのはお門違い。第一住む世界がまるで違う。デイトレーダーがいるから長期投資家がいないわけではない。それは何か別の原因なのです。
官僚さんが考えるべきはまさに「そこ」で、なぜ日本でハンズオン型長期投資が当たり前にならないのか、新産業が生まれないのか、「それ」を考えてもらわないと。*1
外資さんもうまくやればお金は入れてくれるでしょうが、産業を育てるほどのハンズオン型長期投資は文化・政治・社会システムも関わってくる話ですので、あてにはできないでしょう。
ゴルゴでどっかのロシア人が言っていたように日本人に長期戦略は無理なんでしょうかね〜。

*1:どうでもいいですが、「ノーパンしゃぶしゃぶ」ってすごいセンスですよね。これ以上に下世話な単語はちょっと思いつかない。