マイナス→ゼロ→プラスは一直線上にあるか

マイナスをゼロにする努力や才能と、ゼロをプラスにする努力や才能はまったく違うよね、という話

殊に、前よりも、一層強くなったのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云う心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。どうもこう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となって現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待っていたのが、如何にも、無駄な骨折のように、見えてしまう。出来る事なら、何か突然故障が起って、一旦、芋粥が飲めなくなってから、又、その故障がなくなって、今度は、やっとこれにありつけると云うような、そんな手続きに、万事を運ばせたい。
--- 芥川龍之介芋粥

ちょっと話は変わりますけど、バイオ界隈の話で、「病気を治すこと」と「能力を強化すること」は同じだ、という考え方があります。
例えば

超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会

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こういう本の発想ですね。
しかし実際に生物を触っている経験から考えると、「マイナスをゼロ」と「ゼロをプラス」、はかなり違うようです。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)でも「動的平衡*1いわれているように、生命とは物理化学反応間の絶妙な「バランス」により成立しています。
いわゆる「病気」とされる現象の多くは、このバランスの変化によって起こります。例えば「ある遺伝子・要素が機能しない」あるいは「機能しすぎる」はたまた「余分な要素が入り込んでいる」など。
ですからクスリや治療の役割は「ある分子の機能を補う・止める」「余分な要素を除去する」といったものがほとんどです。もちろん「バランス」の「平衡点」というのは人によって違いますから、処方も本来一人一人異なります。
ただ、このように「マイナスからゼロ」というのは、「バランスの回復」的意味合いが強いわけです。
これに対して、「ゼロからプラス」つまり「強化」は大分様子が違ってきます。
「強化」の意味するところは、「新たなバランスの構築」なのです。
例えば、シナプス結合を強化する薬、というのはいくつか存在します。ただし、それで「アタマが良くなる」かというと、恐らくそう単純ではないでしょう。
記憶は強くなるかもしれませんが、逆に優先順位付けや抽象化は不得意になる可能性が高い。「忘れる」というのも知的活動にとっては重要な機能なのです。
また、細胞の老化はガン化を抑えている、という説もあります。ガン化を抑制する遺伝子を強く働かせると老化が起こる。その遺伝子を抑えるとガン化が起こりやすい。
プログラムからバグを除いたりパッチを当てる、というよりは新たな発想でプログラムしなおす、に近いというべきか。
話が明後日に行きましたが、「ゼロをプラス」にするには、一度「マイナスからゼロ」で安定したバランスを崩す必要が出てくるということです。
つまり、生命において「マイナス→ゼロ→プラスは一直線上にない」。
ここに、「ゼロをプラス」の難しさがあるのだと思います。

*1:ちょっとひっかかる言葉ですが。。