何のために勉強するのか:解答編

子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明*1
どうして勉強しなきゃならないんだよ!
ゆとり教育見直しに異論続出=「知識より人間力向上を」−与党
うーん。
「何のために勉強するのか」でこれほどケンケン、ガクガクしなくてはならないってのは正直、驚愕。
これじゃあ教育が迷走するのも仕方ないかもですね。
じゃあ答えです。
まず、この問いには二つの意味があることを認識してください。

1.なぜ、「勉強という行為」が必要なのか
2.なぜ、「現行のカリキュラム」を勉強せねばならないのか

この二つをごっちゃにするから、わけが分からなくなる。まあ、そういうカオスを楽しむのも一興ではありますが。

1.に対する解答

「インプットして、アウトプットする」という行為それ自体の訓練だから。
インプットもアウトプットもなければ、残念ながら人は箱と変わりません。人間のどんな活動も、全てこれが基本です。
学問だろうが、ビジネスだろうが、政治だろうが、芸術だろうが、スポーツだろうが、漫才だろうが、恋愛だろうが、セックスだろうが、育児だろうが、闘病だろうが、同様です。
教育には初等から高等までありますが、本来レベルアップしていくのは「知識」ではなく、この「インプットとアウトプットの方法」であるべきなのです。
日本では残念ながらそういった認識は最高学府たる大学院ですら十分でなく、だからこそ「博士」が「専門バカ」呼ばわりされる事態になってしまうのです。

2.に対する解答

となれば、「現行のカリキュラム」を勉強せねばならない、とは必ずしもいえなくなりますね。
その通りです。
カリキュラムの具体的内容にはもっと突っ込んだ議論があっていいと思いますし、「インプットとアウトプットの方法」をまず身につけさせることができれば、かなりの多様性があってもいいのではないかと思います。
もちろんその中で「初期設定」として最低限備えておくべき知識、というものもあるでしょうし、若いうちにやっておくことが特に重要、という内容もあるでしょう。
つまり本来教育に関して議論すべきことは、

1.いかにして「インプットとアウトプットの方法」を身につけさせるか
2.必要最小限の知識は何か

ということだけなのです。
自立・自律・自走できる人間を育てる。教育の目的はまずそれに集約されます。

ただまあ、これは飽くまで民主国家でのお話。
国民をコマだとか労働マシンとして認識するようなどっかの国では、もっと都合のいい製品を作ろうとエライ人がやっきになるんでしょうな。
どっとはらい

追記ちなみに「いかにして」ですが、「インプットしてアウトプットする」を楽しめる分野を探すことが第一だと思います。結果が優秀がどうかは二の次で、この「サイクル」を身に付けることが何より重要です。こればっかりは口で説明してもダメで、「自転車に乗る」のと同じような一種の身体的回路なんです。たとえ最初がうまくいっても、この「サイクル」がなければそこから伸びませんし、逆にこの「サイクル」が身についていれば分野を変わってもなんとかやっていけます。

*1:そりゃまあ、全てを身につけられるなら素晴らしいでしょうが、そうは行かないから苦労するわけでね。。