コミュニケーションね。

http://blog.tatsuru.com/archives/001073.php
http://d.hatena.ne.jp/bluede/20050705
一応チクっときますか。
コミュニケーションてのは双方向的なものである以上、失敗の「原因」は常に双方にあると捉えるべきです。つまり、例えば企業と若者のコミュニケーションがうまくいかないなら、企業のコミュニケーション能力にも原因が当然あるのです。
その上でどちらの「責」が大きいかは、ケースバイケースで測られねばならない、のですが、往々にして「力の強い」ものが「弱い」ものの責に帰してしまいます。「強い」ものが望むタイプの「コミュニケーション」が「正しい」と一方的に決められてしまいます。この時点ですでにコミュニケーションとは言えないわけですが。
んでもって内田氏のエントリにはまだいろんな問題がありまして、結局この方は「多様化」というものが身体レベルで分かってないんだろうな、という感じですね。氏の求めるのは「空気」と「一体化」による「コミュニケーション(?)」であって、それは「異邦人、寡婦、孤児をわが幕屋のうちに招き入れる」際に最も障害になるものなんですよ。大体、「オーラ」「波動」がお互い予めわかるなら、コミュニケーションなど必要ないわけです。
従ってこの場合、学生よりもむしろ教師の「コミュニケーション能力」こそが「失調」していると考えるのが妥当でしょうね。
「おじさん」達は、あまりにも長く一つの特殊な「コミュニケーション」方法しか知らなかったために、そもそもコミュニケーションとは何であるか、ということすら忘れてしまっているようです。