先日のアブノーマル論続き。

つまり、正常-異常、多数-少数、善-悪を区別すべき、といいますか。世の中でいうアブノーマル=異常のほとんどは単に少数であるに過ぎないので、その禁止は単なる少数排除になります。確かに、多数-少数と正常-異常は重なる部分は多いのですが、正常-異常には「本来そうあるべきものがそうでない」という意味合いが含まれます。つまり「本来そうあるべきもの」が必要というわけです。
例えば同性愛を異常とするには、「人間は異性愛カップルを形成すべきである」または「人間は子をつくるべきである」、という基準が必要です。まあそうなると不妊や独身主義も異常、となります。そうしてみると日本ではこの基準が結構広く採用されているみたいですね。
で、個人的にこれらの基準を採用するのは自由ですが、それを社会的に適用するには、法治主義、民主主義社会においては一定の手続きが必要となります。排除の必要性が議論され、かつそれが法的に定義されねばなりません。それがなされて初めて、異常=悪となりえます。
(ちなみに生物学においては「子孫を残すことが正常」だと「仮定」していますが、それが「証明」されたわけではありません。生物の目的は謎のままですし、恐らくそれはサイエンスが明らかにできることではないでしょう。)
つまりアブノーマルと呼ばれるある行為や嗜好を「悪」として社会的に排除しようとするなら、それが本当に「異常」であるか検証し、それを排除するためのルールを正当な手続きに則って整備しなければならないわけです。日本でそれが行なわれているかというと、とてもそうは思えません。