続リバタリアニズム

MIYADAI.comBlog:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=28に、ちょうどリバタリアニズムリベラリズム辺りについての簡単な解説が。
ふむ。これによると、リバタリアニズムってのは結局「理想的」自由主義と言えるのかな。合意の上なら本当に何をしても構わない、ということでしょうか。殺人だろうがクスリだろうが合意の上、自分の責任においてならなんでもアリだよ、と。
で、だからといってみんながそこら中で好き勝手やってたらさすがに滅茶苦茶になる、ってことで、同じような価値観を持ったもの同士で固まって、その中で好き勝手やってね、というのがコミュニタリアニズム
逆に、個々人バラバラで好きにやっていいけど、世の中ぐちゃぐちゃにならないように最大公約数的な価値観は決めとこう、というのがリベラリズム
リバタリアニズムの「理想的」自由を「現実的」に解決しようとしたのが後の二つってわけですね。とはいえ確かにリバタリアニズムはどちらかというとコミュニタリアニズムになじみやすいですね。特にフロンティアが無限にある(ように思える)時は。しかし実際はコミューンだって有限だし、あるコミューンが資源使いまくればほかのコミューンの自由を侵すことになる。そこでリベラリズム的ルールを決めようとするんだけどなかなか決まらない。ええいうざったい、そっちの都合なんか知らん、自分で何とかしろ、俺らは困ってないんだ勝手にさせてもらうぜ!というのが現在のアメリカンリバタリアニズムと。
ほほぅ、なんか分かったような気になったけど、こんなんでいいんでしょうかね?