カネとサイエンス

http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/colum309.htm
ホリエモンの「カネは公平・カネは何でもできる」ってセンス、実は理系の「科学(論理)は公平・科学(論理)は何でもできる」みたいな感性とそっくりなのです。
カネも科学(論理)も、世界の個別性や微妙な差異をあえて排除し、量的に捉える手法です。それゆえに強力であり、大きなシステムを把握し動かすには適している一方、個別性そのものの価値を評価することはできないのです。
技術から離れても、やはり彼の思考は徹底的に「理系的」であったといえるでしょう。

研究と教育

http://mitsuhiro.exblog.jp/3440412/
京大の話のようですが、いかに自由な気風とはいえ放任にも限度、というか方法論が必要です。これからの時代、教育重視は正しい方向性だと思います。というより、京大に限らずこれまで大学は「教育の研究&研究の教育」を怠りすぎました。天才に自由な場を与え、同時に凡才に必要な方法論を与えることは難しくはありますが、決して矛盾したことではないし不可能でもないでしょう。世界の大学を見ればわかることです。
大学は研究と教育が互いにフィードバックしあって高めあう場所になるべきです。あまりにも遅すぎるとはいえ、今からでもその方法を模索しなければ大学の復権はありえないでしょうね。