”キモさ”の政治学

文字通りの印象論。
北村弁護士の演説のこと
やっぱりこういうアジは小泉さんが図抜けていて、余人が真似すると小さく見えてしまいますね。麻生さんですら小物に見えてしまうのだから、小泉さんの扇動力は53万を軽く超えているに違いありません。
で、確かに扇動手法の基本は万国共通なんですが、つらつら見てきた感じ、日本には他国にない独特の傾向があるように思います。
それは

キモい方が負ける

といういたってシンプルなもの。
逆に言えば、キモくない方が勝つ。
そのあたりはさすが小泉さんで、通常の扇動手法に加えてキチンとこの「キモ史観」をも押さえていました。なんせ小泉さんが設定した「抵抗勢力」のキモいことキモいこと。
こうなるともう勝って当たり前、テロリストに対するセガールの如し。
その点、安倍さんはぬかっていました。あろうことか、自らの内閣の中に「キモさ」を発生させてしまった。「美しい国」に始まり、教育再生会議還元水に自殺、絆創膏、年金問題、と。
「なんとなくキモい」
多分安倍内閣の最終段階には、こんな気分があたりに蔓延していたのではないでしょうか。
いわゆる「サヨク」だ「ウヨク」だ、というのはそれほど問題ではなく、立場がどうあれ「キモい」方が負け、「キモくない」方が支持される。
これこそが日本独特の「空気」であり、「バランス感覚」というものなんでしょう。
麻生さんが今ひとつ押し切れないのは、福田さんが「あまりキモくない」という点にあります。面白みには欠けるし、リーダーシップがあるのかないのか分からない感じではあるけれど、「抵抗勢力」にあったような「キモさ」は少ない。
そういう相手の場合、押しが過ぎると自分自身が「キモく」なってしまう。民主の小沢さんもこの辺を気にしている。「キモく」なってしまった安倍さんには強くでることが容易ですが、福田さんでは難しくなる。
日本における政局の鉄則は、相手をキモく、自分はキモくなく。
なんだか「キモい」のゲシュタルトが崩壊してきました。
それにしても、日本政治を支配する「キモさ」というのは何であるのか。
唯一、「キモい」を中和可能なのは「カワイイ」というものらしいので、とりあえず「カワイイ」の逆が「キモい」なのか。しかし、「カワイイ」を目指して「キモく」なるのもよくあることではないのか。
そういえば小泉さんはおばちゃん勢からの強い支持を取り付けていたけれど、それは「カワイイ」からなのか。タイゾーはカワイイのか。石田は割りとカワイイかも。結局、カワイイ政治の時代が来るのか来ないのか。
しかし歴史を紐解けば、政局に明け暮れる国ってのは必ず没落するわけで。
キモかろうがカワイかろうが構いませんが、合理的な政治システムが作動しなければどうにもなりませんわな。
自民/民主が解体再編するのが一番面白いんだけどなぁ。
まあ長々書くとキモくなるんで、今日はこの辺で。。