バイオベンチャーは社会力の試金石

久しぶりに、日本のバイオに関する濃い議論がネットで読めるようです。
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バイオベンチャー*1の大きな特徴は、上記リンクのbuuさんがおっしゃるように、ベンチャーでありながらも様々な分野における総合力が問われる点です。
研究力、技術力、開発力はもちろんですが、資金力、法的防衛力、交渉力、販売力、発信力、政治力などなど、どれもが高いレベルで「必要条件」として求められます。
例えば米国バイオベンチャーの老舗ジェネティクス・インスティチュートは人工透析の際の腎性貧血治療剤として組み換えエリスロポエチンを世界で最初に開発しましたが、その後アムジェンとの特許闘争に敗れ、北米での販売権を失ってしまいます。
生命を扱う分野ですし、その多くは人体に直接関与する商品・サービスになるわけで、安易に世に出すわけにはいかない。その上、生命はグローバルですから、当然最初から世界が相手となるわけです。
となると、個人の力はさることながら、分野を超えた連携がなにより重要になってきます。
つまりその国の社会としての底力、「社会力」が極めてシビアに試されるのが「バイオベンチャー」という分野なのです。
ですから現在の日本バイオのお寒い状況は、科学と社会を取り巻く「寒さ」をモロに反映していると考えてよいでしょう。
私が一番問題だと感じるのは、科学分野間はもとより、科学-ビジネス間でもそうなのですが、異分野間での信頼関係がないことです。
その上、信用を担保できる紛争・トラブル解決手段もない。
だからお互いどこまで情報を出していいのか分からないし、どこまで身を預けられるのかも分からない。
いろいろとSNSを作ったり勉強会を開いても実を結ばないのは、根本的な信頼関係が出来ていないからなのです。
こういう不信の構造はなかなか根が深く、いわゆる「文系」「理系」の構造や、あるいはアカデミックとビジネスの不和、役人不信、研究室内での上下関係や人間関係、業界内での対立、などなど泥臭〜いレベルで広く深く根を張っているといえます。
競争的なアプローチと同時に、こういった社会における「信頼」が失われない様に気を配らなければ、「社会力」を必要とする分野は確実に衰退します。
バイオベンチャーはその意味で日本という炭鉱における「カナリア」と見ることができるでしょう。


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このいずれかが「必要条件」として浮上してきたときに、適切なプロ人材(専門バカ)を投入出来る体制がシリコンバレーの強み。何十年もの経験の積み重ねがある。さらに「専門バカ」を束ねるのが専門の「専門バカ」人材も豊富だ。

「個」であると同時に、「機能集団」としての強さも発揮できるのがシリコンバレーの凄み。

*1:医薬やアグリなど、いわゆるガチのバイオベンチャーを指します。