JR西日本よりオーバーラン

http://blog.tatsuru.com/archives/000995.php
やばいです。
この走りっぷりはどうしたんでしょう。
前半の空想はまあおいて。

「今は特に学びたいことも、やりたい仕事もない。
家にいれば、とりあえず雨露はしのげて、ご飯は食べられる。
親が生きている限りは、この状態がキープできる見通しである。
親が死んだら、そのときに状況を勘案しつつ、オプティマルな対応策を立案すればよい。」
きわめて合理的である。

ふんふん。

NEETにむかって学びと労働の必要性を功利的な語法で説くのはだからまるで無意味なことなのである。
それとは違うことばで学びと労働の人間的意味を語ること。

・・・?

NEETを生み出しているのは、このような功利的教育観そのものなのである。

Σ(゜д゜lll)
た、魂の労働?魂の労働―ネオリベラリズムの権力論
労働は神聖なもので、対価を求めるなんて意地汚いとおっしゃる?
やばいなあ、この考え方こそがニートやひきこもりを生み出すってことに気づいてらっしゃらない。
「好きなことやってんだから我慢しろ」ルートまっしぐらですな。
労働が神聖なら、それに見合った対価を出さないことこそを指摘、批判すべきでした。
センセイ、「資本主義の黄昏」どころか、これじゃ資本家の思考そのものですよ。。
追記
http://d.hatena.ne.jp/bluede/20050519
こちらでもよりきちんと批判されてます。
今回のは特にそうですが、「認識が甘い」とかいうレベルではなく、少なくともひきこもりやニート格差社会という現象を問題視するならばこれらを悪化させる効果を持つ言説です。
内田樹氏は確かに身体論や哲学風味エッセイにおいては卓越した方ですが、だからといって氏の論理は何でも正しい、という前提で対するのはまさしく氏の批判する「先入観」に囚われているといわねばなりません。
氏の教えにもあるように、その文章の「効用」についてよく考えると、上記のような結論に達さざるを得ない、ということですな。
追記http://d.hatena.ne.jp/sivad/20050523