女王の顔は知覚か感覚か?

ヘレナ・ボナム・カーターを観すぎてなんだか大竹しのぶに見えてきました。目の表情が似ているのでしょうか。
映画のほうは3Dのせいか意外と内容はアッサリしていて(構図的にはマッチョですが)、90分で二本立てとかやっていた時代をなんとなく思い出しました。3Dで二時間以上見続けるのはつらいので、長大化の流れが逆転するかもしれませんね。
で、図書館で真っ赤に異彩を放っていたニコラス・ハンフリーの「赤を見る」を読んでみました。赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由
ハンフリーの主張のポイントは以前から一貫しています。

1.知覚と感覚は別のものである
2.意識は感覚から生まれた

大きくいってこの2点。
この本ではどちらかというと1番目に関する傍証に力点が置かれているようです。
特に興味深かったのが、「盲視」に関する記述。
「盲視」とは、脳のある部分に損傷を受け、学術的には視力が「ない」にも関わらず、「視えている」かのような行動が可能なケースのこと。
チンパンジーと人のそれぞれの例が書かれてありますが、人の場合、本人も意識的には「視えていない」のですが、無意識的に障害物をよけたり、テーブルの上のものを取ったりすることができる。
つまり、空間的(視覚的)な情報は脳に入ってきており、それを処理することもできるけれども、いわゆる「意識」にはのぼってくることがない、という状態らしいのです。
これ、ジョン・サール中国語の部屋と比較してみるとなかなか面白いですね。
マインド―心の哲学
中国語の部屋」においては、部屋の中の人は、外から入れられる中国語のカードに対応辞典を引いて機械的に応えるだけで、その意味や内容を理解していません。
中の人を「意識」ととらえると、これは
「意識しているが理解していない」
状態です。
一方「盲視」の場合、意識はできないが情報を身体的には「理解」して行動できる。
つまり、
「意識していないが理解している」
と解釈することが可能です。
ハンフリーの場合は、意識≒感覚、理解≒知覚と考えていて、これらの傍証から感覚と知覚の分離を分かりやすいイメージとして描き出してくれます。
ただ、意識は感覚の統合から生まれた、という解釈そのものにはやや疑問が残りますね。
感覚の起源をアメーバの「身悶え」にみるセンスは詩的だと思いますが、それは同時に知覚の起源でもあるわけで。
どこまでを意識ととらえるか、という問題もありますが、個人的にはシミュレータとしての「意識≒知覚」の発達と対抗的に「感覚」が増幅されたんじゃないかな、と解釈しています。この場合は知覚も感覚いずれにおいても、意識にのぼるものとのぼらないもの、計4種類あると考えるべきなのかな。
「アメーバの身悶え」を起源として、それと直結する身体的な知覚と感覚、それらを抽象化し増幅した意識的な知覚と感覚。


ところで、量子脳理論についてふれたエイプリルフール記事を書いたためか、なにやら書評の依頼が舞い込んできました。
商売抜きに無料公開しているSF小説とのことで、弓月城太郎さんの「神秘体験」という作品。こちらで全文ダウンロードできます。
http://yuzukijoutarou.3rin.net/
某氏と何やらもめていた経緯もあったようですが和解されているようですし、完全に自由な感想でよいということなので簡単ですが書いてみます。
SFというよりは、一種の教養小説でしょうか。天才児の成長と苦悩、という王道に、科学者として、信仰者としてのアイデンティティ確立をかけあわせています。ガジェットは新興宗教にクローン技術にフィギュアスケートに将棋と、なかなかにポップ。文章は想像以上にこなれていて、無理なく読むことができました。
将棋の造詣が深いようで、量子コンピュータ棋士の対決というのはそれだけで一作品にしたほうがよいのではないかなと感じます。将棋は完全情報ゲームなので、本当に量子コンピュータが完成したら理論上は無敵なんでしょうね。
ただ、量子脳理論って量子コンピュータとは別の話ですよね。将棋では量子脳の長所は活かせないんじゃないかな。
あと、生物学の文脈で遺伝子変異が「ランダム」と書くことはありますが、正確な表現ではありません。DNAも染色体も構造を持った物質であり生物的な制御を受けていますので、数学的な意味においてランダムということはなく、変異しやすい箇所しにくい箇所は当然あります。塩基の変化が目的的に予定されているわけではない、という意味にすぎません。もちろん、大腸菌で見つかっている変異のコントロール性は新規なもので、非常に興味深いテーマだと思います。
全般に、強い意気込みとともにいろいろ詰め込みすぎな感があり、特に科学パートと宗教パートがうまく融合しているようには思えませんでした。無理に結合するのではなくて、それぞれのパートでひとつの作品にして、全体として関連性を持たせたほうが面白いのではないでしょうか。ポール・ウィルスンみたいな感じで。