市場・原理主義 or 市場原理・主義?


文をどこで区切るかで意味が変わってしまう言葉遊びを「ぎなた読み」、というそうです。
有名なのでは、

・「ここではきものをぬいでください」→ここでは着物を脱いでください/ここで履物を脱いでください
・「ふたえにしてくびにかけるじゅず」→二重にして首にかける数珠/二重にし手首にかける数珠
・「けいざいはきゅうこうか」→経済波及効果/経済は急降下
・「おもいこんだら」→思いこんだら/重いコンダラ(?)

なんかがありますね。
で、今回サブプライム問題から端を発したアメリカの金融破綻。
市場原理主義の限界」「いややはり市場原理主義は生き残る
などなど百家争鳴でなかなか面白いのですが、この「市場原理主義」って言葉も考えてみるとやっかいなものではないでしょうか。
市場・原理主義
市場原理・主義。
ぎなた読み的に区切る場所を変えることで、ほとんど正反対に近いくらいに意味が変わってくるのです。

市場・原理主義

ここで区切った場合、市場に対する原理主義、という意味になります。多くはこういう意味に捉えられているのかな?
原理主義、というのは対象を絶対視する態度のことですから、市場を絶対視する、市場に任せれば必ずうまくいく、という主義のことになりますね。
これは一見経済学主義的に見えて、実際には全く経済学とは反する態度です。科学的に世の中を解釈する場合、何かを「絶対視」したり「常にうまくいく万能理論」を持ち出すのは明らかなご法度です。
一方、

市場原理・主義

こう切った場合、「市場原理」を重視する態度、ということになります。
市場原理とは、完全市場という経済学上のモデルにおいて機能する法則です。これが働くことで、財の配分や分業、資源の効率的な利用が可能になるとされています。
「市場原理」を働かせたいのですから、「市場原理・主義」では世の中を完全市場*1に近づけることが重要になります。
では完全市場とはなにか?
ここなどにありますが、

・原子性 売り手も買い手も同等の小規模で、かつ多数存在すること
・均一性 同じ商品名なら全て同じ性能、効能を持つこと
・完全情報 売り手も買い手も等しく全ての情報を持っている
・自由で平等な機会 売り手も買い手も自由に平等に市場やリソースにアクセスし、利用できる

などの条件が満たされる理想的なモデルのことです。もちろんモデルなので、そのものが現実に存在するわけではないのですが、現実をこういう状態に近づけることで「市場原理」が作動するよ、という話なわけです。

ではサブプライム問題は?

どう見ても、「市場原理」が正常に作動する条件からかけ離れています。
・売り手と買い手は全くの非対称です。証券会社と顧客の持つ機会も情報量も桁違い。
サブプライム証券のリスクは専門家が調べてもはっきりしないといわれています。均一性など全くありません。
・完全情報どころか、どこにどういうリスクが埋まっているのか分からないから現状があるわけです。
・これらのことから当然、自由でも平等でもありません。
不完全だろうが非対称だろうが市場自体は存在します。しかしそういう市場では「市場原理」は機能しません。
市場・原理主義にとっては、まずは市場に任せることが大事。条件は二の次。市場はなんにでも効くんです。
市場原理・主義にとっては、完全市場を目指すことが重要。上の条件を社会的に作っていくことを目指します。
おそらく、失敗したのは「市場・原理主義」。
次に目指すべきは、「市場原理・主義」。
ぱっと見似ていますが、「この先生きのこる」ためには言葉遊びでは済まないこの二つ。注意深く判別していく必要がありそうです。

*1:または完全競争市場