科学者や技術者は「魔法使いの弟子」にすぎない

Inspired by 子供の国の不純な医学
クラークの言うとおり、「十分に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない」。
その上、科学者や技術者自身もまた「魔法使い」として振る舞おうとします。「科学マジック」によるパフォーマンスを持ち出すまでもなく、どんな科学者・技術者も自分の専門分野の力を誇示する時、無上の喜びを感じます。
「この技術が未来を作る」
「この発見が全てを変える」
「あんなこともできる」 「こんなこともできる」
ゲノムであれ、Web2.0であれ、ナノテクであれ、脳科学であれ*1
しかし、科学者も技術者も、そしてもちろん医者も、「魔法使い」なんかではありません。
彼らはよく言って、魔法使いの弟子でしかない。

「ファンタジア」における「魔法使いの弟子」
弟子は師の魔法を見よう見まねで使ってみます。一応初めはうまくいったように見える。しかしその術には弟子の知らないルールが沢山潜んでいる。うまくやれば強大な力を引き出せるけれど、それはほんの一面でしかない。
科学者・技術者にとっての「魔法の師匠」は自然であり、世界そのものです。
作品では制御不能になった魔法を師匠が止めてくれますが、科学者・技術者の師匠は最後まで放置プレイ。
その魔法の真の呪文も知らないまま、試行錯誤でおっかなびっくり使っている。
人間の科学や技術というのはそういうものです。
華麗な魔法など人間には使えない。
科学も技術も地べたを這いずり回って師匠から盗んだなけなしの、しかしまだ全くもって不完全な秘法のカケラに過ぎないということを知らねばならないのです。


「魔法」と見なすこと。
それは単に知識や技術が理解を超えているということではなく、それらが「完全」であると考えることです。
知識や技術が「完全」であるならば、失敗の原因は必然的に「それを使役する者」にあると見なされる。
魔法と違い、科学は本質的に「不完全」であり、それゆえに「進歩」し続けることができる。
信仰するのでもなく、否定するのでもなく、その「不完全さ」に正面から対峙し、科学と「付き合って」いく。
そういうアナウンス・教育が今後必要になるのだと思います。


関連:進化論が科学であり、ID論が科学でない理由

*1:構造的な問題もある。科学者が資金を得るには、「魔法使えます」と言うのが一番。