抽象化できない体験は語られない

からなあ。
私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている
語られる人生や体験というものは必然的に抽象化できる範囲に留まっています。逆に、その範囲に留まる人生はメタ化もゲーム化も容易となる。
そして、その人がどういうインターフェイス、メディア上で人生や生活を送るかによって、その体験がメタ化しやすいかどうかも決まってくるわけです。
言葉で描かれる人生は言葉で描くことのできる範囲を超えることはない。
システムで描かれる体験はシステムで描くことのできる範囲を超えることはない。
抽象化というのは切り捨てるということ。
つまり情報というものは常に何かを切り捨てて成立しているということであり、それを踏まえておけばその取り扱い方もなんとなく分かってくるような気がします。
思うに、人生を面白くする一つの方法は、「抽象化できない体験」をすることです。
科学には再現性が必要だけど、人生は時に再現性がない方が面白い。