村上春樹が守ったほんとうのもの

 村上春樹スピーチ全文和訳Ver.1.2

私としては村上春樹エルサレム賞を受ける受けない、そしてなにを言うか、そんなことは現時点のガザ状況に、それこそ卵の殻に傷をつけるほどの影響ももたらさないと思っています。
私自身はイスラエルを批判すべきだと思いますし、その点からも今回の村上氏の姿勢は評価されるべきものだと思います。しかし、上の理由により、私はこの件はどちらかというと、村上春樹の小説の「リアリティ」に関わる問題として眺めてきました。
そして村上春樹は自身の「嘘=小説」のリアリティを最大限に守ることに成功したのだと思います。
私は以前書いたように、「神の子どもたちはみな踊る」以降の作品を特に好んでいます。
さまざまなところで言われているように、ここから村上春樹ディタッチメント(関わらない)からコミットメント(関わる)を選んだ、とされますし、私もそう感じます。少なくとも、小説表現上は。
たとえば、「神の子どもたちはみな踊る」中の「かえるくん、東京を救う」。
これは村上春樹一流の「コミットメント宣言」と捉えられます。
「かえるくん」は東京を大地震から守るため、「みみずくん」と戦わなくてはならない。
そして、一介の疲れたサラリーマンである片桐に支援を求める。
といっても、片桐はどこまでいってもただのサラリーマンで、特殊能力に目覚めるわけでも、突然押しかけた魔法少女に愛されるわけでもない。
コミットしようがしまいが実質的には何も変わらないように見える。
しかし、「かえるくん」は彼の支援を必要とし、片桐もそれに答える。やれやれ、とはいわない。

さて、氏はエルサレムでのスピーチにおいて、小説家を『「嘘」を紡ぐ者』と表現し、その嘘が『真実』を引き出すことがある、と述べました。
そして、そのためには『あたかも本当のように見えるフィクション』が必要だといいます。また、私が好きなもう一人の芸術家荒木飛呂彦も、「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する天才漫画家「岸辺露伴」の口を借りて、作品に生命を与えるのは『リアリティ』だと喝破しています。
『嘘』が『真実』を引き出すには、『リアリティ』が必要なのです。
小説において『コミットメント』を表現した村上春樹が、エルサレムと対峙しなおかつ作品の『リアリティ』を失わないにはどうすればよいか。
とてつもない難問であり、かつ絶好のチャンスでもあります。
答えは出ました。
それが今回のスピーチであり、実に完璧に近い方法だったと私は思います。
村上春樹が守ったもの、それは村上春樹の小説なのです。
全身小説家村上春樹
そう感じました。
いや、すごいな。まったくのところ。